
福沢諭吉が見た明治維新を紹介したビデオが話題になっていました。
戊辰戦争に至った経緯や、明治維新後に日本初の大学を作った本当の理由など、福沢らしい独自の歴史館を紹介した興味深い内容になっています。
そんなビデオに、海外からは多くの絶賛の声が寄せられていました。
・浪人は我々学者が西洋人に日本を明け渡すために嘘をついてると言って襲撃してる。
・同僚の手塚律蔵は長州藩を訪れた時に、自由貿易を提唱したとして斬りかかられたが、凍てつく堀に飛び込んで逃れた。
・そんな最中に英国がリチャードソン殺害への報復を行ってきた。
・1862年、生麦事件
・江戸に現れた英国艦隊は、幕府から10万ポンド、薩摩藩から2.5万ポンド、犯人の処刑を要求してきた。
・私は招集されて英国の文章を翻訳したが、それがもたらす結果が不安だった。
・将軍は天皇に謁見するために京都に行っていたために、英国が要求した20日の猶予が迫っていた。
・戦争が始まると思った庶民は田舎に逃げ出した。正確にいつ攻撃が始まるという噂まで流れていた。
・なぜかフランス政府が英国側につき、英国とともに江戸を攻撃すると通達してきた。
・幕府はヨーロッパの一方的ないじめに何もできなかった。役人たちは仮病を使って会議を欠席してたし。
・私は荷物をまとめて友人の呉黄石のもとに逃れる用意をした。生徒が住んでいたので150両を分け与えた。
・予期しないことが起こった。幕府の役人が船で横浜に向かい、英国の大使と面会した。
・役人は10万ポンドの銀を自分の責任で支払い危機が去った。
・英国艦隊は薩摩藩に向かって2.5万ポンドと犯人の処刑を要求した。
・薩摩藩はヨーロッパから購入した軍艦二隻で報復。薩英戦争が始まった。
・英国の反撃によって海岸沿いの街はほぼ壊滅したが、勝利を決定づけるものはなかった。
・停戦後2.5万ポンドを支払うと、英国人は気軽に大量の鉄を使うイカリを返してくれとまで言ってきた。
・日本人は1人の死に12.5万ポンドはフェアではないと思ってたが、西洋人の倫理観を思い知らされた。アメリカ人ですら日本が全額支払わないことを望んでたし。便乗してきたフランス人の正気を疑ったね。
・幕府は外国を嫌う国内勢力と、開国を望む西洋連合の板挟みになった。
・毎日のように暗殺事件が起こって、どうやって生き残るかが最大の心配事になった。
・1867年、再びアメリカに行く機会を得た。
・幕府が新たな軍艦を購入したが、アメリカの内戦で到着が送れたので、船とライフルの購入に向かった。
・蒸気船だから前回の37日が22日に短縮された。当時はまだ鉄道がなかったので、パナマ経由でワシントンに向かった。
・支払ったお金の使いみちを証明するものはなかったが、これを信頼の証にできると考えることにした。
・あずま艦とライフルを購入、明治元年まで間もない時期に日本に到着した。
・伏見の戦いでの幕府が敗北を皮切りに明治維新が始まった。
・政治は専門外だけど疎いわけじゃない。ヨーロッパを旅行中に、ドイツみたいに藩が連邦政府を作るんじゃないかと話していた。
・出来ることなら年200俵の給料でお偉いさんの家庭教師をやって、新しいアイデアを教えて国を作り変えてみたかった。
・天皇に賛同する浪人や愛国者が京都に招集されている。幕府は再び権力を取り戻そうとしていた。
・私は抑圧的で保守的で外国嫌いの幕府は好きじゃなかったけど、天皇側のほうが外国嫌いで暴力的だから余計に賛同できない。一旗揚げてやろうという気力もないし。
・保守的といえば、経済書を役人に翻訳してあげたことがある。日本語にないCompetitionという言葉がったので”競争”という単語を作ってみた。西洋人は物騒すぎだなと言われたので、日本の商人もやってる普通のことだと言うのだけど、争うという言葉は物騒で使えないと言われた。
・平和的で安定した政府が樹立されると、その年の4月に私の学校の建設が終わった。
・私は明治政府が大嫌いだったんだが、新政府なら西洋に対して断固対抗してくれると信じてたし、日本にとって良くないと思ったから協力することにした。当時の絶望感は誰にも話したことはないけどね。
・日本の現状を見るに外国の凶暴性に対して日本は持ちこたえられないのではないかと恐ていた。
・30年経って、いかに日本が発展して強固になったかを見ると、夢を見てたように思う。
・今日の偉大な日本を祝福することしかできないね。
・同僚の手塚律蔵は長州藩を訪れた時に、自由貿易を提唱したとして斬りかかられたが、凍てつく堀に飛び込んで逃れた。
・そんな最中に英国がリチャードソン殺害への報復を行ってきた。
・1862年、生麦事件
・江戸に現れた英国艦隊は、幕府から10万ポンド、薩摩藩から2.5万ポンド、犯人の処刑を要求してきた。
・私は招集されて英国の文章を翻訳したが、それがもたらす結果が不安だった。
・将軍は天皇に謁見するために京都に行っていたために、英国が要求した20日の猶予が迫っていた。
・戦争が始まると思った庶民は田舎に逃げ出した。正確にいつ攻撃が始まるという噂まで流れていた。
・なぜかフランス政府が英国側につき、英国とともに江戸を攻撃すると通達してきた。
・幕府はヨーロッパの一方的ないじめに何もできなかった。役人たちは仮病を使って会議を欠席してたし。
・私は荷物をまとめて友人の呉黄石のもとに逃れる用意をした。生徒が住んでいたので150両を分け与えた。
・予期しないことが起こった。幕府の役人が船で横浜に向かい、英国の大使と面会した。
・役人は10万ポンドの銀を自分の責任で支払い危機が去った。
・英国艦隊は薩摩藩に向かって2.5万ポンドと犯人の処刑を要求した。
・薩摩藩はヨーロッパから購入した軍艦二隻で報復。薩英戦争が始まった。
・英国の反撃によって海岸沿いの街はほぼ壊滅したが、勝利を決定づけるものはなかった。
・停戦後2.5万ポンドを支払うと、英国人は気軽に大量の鉄を使うイカリを返してくれとまで言ってきた。
・日本人は1人の死に12.5万ポンドはフェアではないと思ってたが、西洋人の倫理観を思い知らされた。アメリカ人ですら日本が全額支払わないことを望んでたし。便乗してきたフランス人の正気を疑ったね。
・幕府は外国を嫌う国内勢力と、開国を望む西洋連合の板挟みになった。
・毎日のように暗殺事件が起こって、どうやって生き残るかが最大の心配事になった。
・1867年、再びアメリカに行く機会を得た。
・幕府が新たな軍艦を購入したが、アメリカの内戦で到着が送れたので、船とライフルの購入に向かった。
・蒸気船だから前回の37日が22日に短縮された。当時はまだ鉄道がなかったので、パナマ経由でワシントンに向かった。
・支払ったお金の使いみちを証明するものはなかったが、これを信頼の証にできると考えることにした。
・あずま艦とライフルを購入、明治元年まで間もない時期に日本に到着した。
・伏見の戦いでの幕府が敗北を皮切りに明治維新が始まった。
・政治は専門外だけど疎いわけじゃない。ヨーロッパを旅行中に、ドイツみたいに藩が連邦政府を作るんじゃないかと話していた。
・出来ることなら年200俵の給料でお偉いさんの家庭教師をやって、新しいアイデアを教えて国を作り変えてみたかった。
・天皇に賛同する浪人や愛国者が京都に招集されている。幕府は再び権力を取り戻そうとしていた。
・私は抑圧的で保守的で外国嫌いの幕府は好きじゃなかったけど、天皇側のほうが外国嫌いで暴力的だから余計に賛同できない。一旗揚げてやろうという気力もないし。
・保守的といえば、経済書を役人に翻訳してあげたことがある。日本語にないCompetitionという言葉がったので”競争”という単語を作ってみた。西洋人は物騒すぎだなと言われたので、日本の商人もやってる普通のことだと言うのだけど、争うという言葉は物騒で使えないと言われた。
・平和的で安定した政府が樹立されると、その年の4月に私の学校の建設が終わった。
・私は明治政府が大嫌いだったんだが、新政府なら西洋に対して断固対抗してくれると信じてたし、日本にとって良くないと思ったから協力することにした。当時の絶望感は誰にも話したことはないけどね。
・日本の現状を見るに外国の凶暴性に対して日本は持ちこたえられないのではないかと恐ていた。
・30年経って、いかに日本が発展して強固になったかを見ると、夢を見てたように思う。
・今日の偉大な日本を祝福することしかできないね。
以下、反応コメント
・海外の名無しさん
この人は当時としては本当に進んだ考えをしてるね。
・海外の名無しさん
このシリーズはお気に入りになってるよ。
この素晴らしい人物のビデオをもっとやってくれるといいな。
・海外の名無しさん
今年のはじめに鹿児島と仙巌園に行ってきたから特に興味深かった。
薩英戦争の話をいろいろ聞かされたから。
すごいビデオだね!
・海外の名無しさん
なんか最後に泣いてしまった。
・海外の名無しさん
つまり浪人はアンティファってこと?
・海外の名無しさん
↑浪人は主人を失ったサムライのことだよ。
職がないから簡単に当時人気だった過激思想に誘導することが出来たんだよ。
・海外の名無しさん
↑浪人はすごく外国人嫌いで愛国的だったよ。
・海外の名無しさん
↑外国人嫌いの浪人と、開国派の浪人の両方居たよ。
最初は暗殺を行ってたけど、のちに鎖国が国力を弱めることが明らかになって、大半が科学や産業化を受け入れるようになった。
・海外の名無しさん
ラスト・サムライのせいで俺達はサムライを応援するように仕向けられてるけど。
本当に悪人はいったい誰なんだ?
・海外の名無しさん
↑当時に悪人なんて居ないよ。
幕府を信じた人も居れば、変化を望んだ人も居ただけ。
明治維新以降は、伝統を保持することを望む人と、そうでない人が居たし。
・海外の名無しさん
Google翻訳で見てみたけど、どうやら彼の作ったCompetitionの翻訳は残ってるみたいだよ。
・海外の名無しさん
福沢はマジでカッコイイ人だね。
・海外の名無しさん
今の日本を見て福沢はいったい何を思うのだろうか。
・海外の名無しさん
↑すごく誇りに思うだろうね。
皇室を残しつつも、基本的人権を尊重して、教育をすごく大切にした国になってるから。
・海外の名無しさん
↑"僕の顔が1万円札になってるぅ。やったぁw"って思うだろうよ。
・海外の名無しさん
みんな諭吉さんは大好きだけど、彼は旅行好きだからね。
財布に長く留まってくれないのが悲しすぎる。
・海外の名無しさん
1876年に刀が禁止されたときのサムライの考えを聞けたらありがたいな。
アメリカの銃規制と比較できるかもしれないしね。
・海外の名無しさん
この人はすごいね。
何も持たずに船にのってアメリカに行って、鋼鉄の怪物と大量の銃を持って帰ってくるなんて。
・海外の名無しさん
ようするに英国人はろくでなしで、アメリカ人は良いやつだったんだね。
・海外の名無しさん
戦前は日本人とアメリカ人が本当に仲良しだったのが残念だね。
戦後、フレンドシップが元通りになってよかった。
・海外の名無しさん
日露戦争で日本がロシアを倒すまで生きてなかったのが残念だね。
・海外の名無しさん
彼がアジアにおける日本よる圧政的支配の主な原因なのに、みんな彼を美化してるよね。
・海外の名無しさん
↑彼は朝鮮人の生徒を取った最初の日本人だよ。
1881年に3人の朝鮮人が日本に渡って、福沢は自分の家で面倒を見てたよ。
・海外の名無しさん
薩摩藩は幕府にかりた2.5万ポンドを返さずに、武器を買って倒幕して、日本の近代化で重要な役割を担ったんだよ。
・海外の名無しさん
↑どうりで怒ったんだね。
ただやみくもに英国人を殺したわけじゃないんだ。
・海外の名無しさん
なんでこれが映画やドラマ化されてないの?
・海外の名無しさん
余計に彼の伝記を買わなくてはいけなくなってしまった。
・海外の名無しさん
このすべてが彼が外国語を学びたいと思ったことから始まってるのが面白い。
・海外の名無しさん
面白いアニメになりそうだね。
・海外の名無しさん
こんな短期間で日本が近代化して、英国に対抗できるまでになったのがすごい。
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